ディリの港から海を見る。快晴。椰子の葉をゆらす風もさやかに波はおだやかだ。アタウロ島がみえる。のんびりとした南の国の午後。
だが私は、そんなうわっつらだけの安易なイメージを語るつもりはない。
その記事が新聞に載ったのは、2009年6月26日が最初だった。「5歳の女の子が死んだ。遺体は小舟でアタウロまで運ばれた」という見出しだった(DN紙)。別の新聞には「薬を買うお金がなくて女の子が死んだ」とあった(TP紙)。
アタウロ島に住む5歳の少女ジョアンナ・アルベスは、発熱と腹部の腫脹、呼吸困難をきたし、ディリの国立病院にヘリコプターで搬送された(6月26日TP紙、DN紙)。遺族によると「医師はよく診察もしないで」「薬の名前が書かれた紙をよこし」「薬局から薬を買ってくるようにと言うだけ(6月27日TP紙)」だった。薬は高価で貧乏な父親には購入できず(6月26日DN紙、27日TP紙)、子どもは死亡した。遺体を運ぶために支援を要請すると「遺体搬送までは病院の仕事ではない」と言われ、さらに「遺体の腐敗防止のために使ったホルマリン代100ドルを支払うように言われ」た。遺体は6人の家族とともに政府庁舎前の公園から、50ドルで雇ったモーター付きの小舟でアタウロ島まで帰った(6月26日DN紙)。
病院側は家族の申し立てに対し「ジョアンナ・アルベスは脳の感染症で」「病院には治療薬がなかったので家族に協力を依頼した」が「病院到着時にはすでに手遅れだった」と説明した(6月27日TP紙)。家族は保健省に調査を依頼し(7月6日STL紙)、死亡の経過について調査が行われた(7月13日STL紙)。その報告書はすでに保健省に提出された(7月13日DN紙)。保健省は近々報告書の内容を明らかにすると言っている(7月20日STL紙、7月22日DN紙、8月5日DN紙)。
以後、ジョアンナ・アルベスの報道は途絶える。
先日、見学にいったディリ市内のクリニックで、目の前で1700グラムの未熟児が生まれ、死んだ。医療スタッフは淡々と処置し、泣きはらした目の母親と小さな小さな遺体を送り出した。隣のベッドでは結核とHIVに感染した母親がうつろな目をしてそれを見送っていた。彼女も先週死産したばかりである。かたわらでは極度の栄養失調で身体がふくれあがってしまった赤ん坊が力なく泣く。やせ細った母親がやせ細った乳を含ませようとする。ジフテリアの幼児の呼吸が今にも止まりそうだ。破傷風の子どもは苦しそうに泣いているのだが、引きつった顔は犬が笑っているようにみえる。
これが普通のことなのか。
“ Ita hetan saida? Hein saida? Ne’e TIMOR-LESTE!” (何を見たって言うの?何を期待しているの?ここは東ティモールよ!)
はるか水平線のアタウロ島。
その島影は、私にはそう、語りかけてくる少女の横顔に見えるのだ。
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