先週はブログをわりと頻回に更新した週だったが、毎日仕事にも行かないでバイクの教習に行っているわけではないのでご安心ください。ちゃんとお仕事してはいます。
さて、早くもバイクの教習を決心して1ヶ月が経過した。乗った回数はまだ10回に満たないが、すでに一本橋で2回乗り越している状況はあまり予断を許さない状況であるといっても過言ではないだろう。
指導教官もだいたいは一回りしただろうか。やはりキャラがきわまっているのは登場いただいた3人(めんどくさお兄さん、やたら明るい強面兄さん、精神論語りたがるお兄さん)の教官だろう。これからも彼らの動向を中心にバイク教習のありかたを論じて行きたいと思う。
教習以前にも、たくさんの人からあほとかなに考えてんだとか無駄だとかこの非常時にとか危ないとか年だから無理とかの御意見をありがたくいただいた。それにもめげず稽古を続けている自分に、まあこういう根性がまだ残っていたのだなと少し自信を取り戻しているところではある。
実を言えば、教習を始める前、つまり一歩を踏み出す前には長い逡巡の時間があった。多くの人から言われたあほとかなに考えてんだとか無駄だとかいろいろなことは、言われるまでもなく、自分の中ですでに自分に対して言っていたことでもあったのだ。それでも最終的には、なんでこの年になった大型バイク?と聞かれたら、そこにバイクがあるからと答えるしかないだろう。一生をバイクと無縁で送るのも別に何の問題もないと思うけれど、バイクに乗ってる人をいいなあかっこいいなあ気持ちいいだっろうなあとみるだけで終わってしまう一生ではちょいと物足りない、そんな気がする。
大型バイクは前にも言ったけれど、さわってみてやっぱりでかいし重いし怖い。スピードが出ると乗っている自分の卑小さと心許なさを痛いほど実感してしまう。うぬぼれて上から目線になっていた自分の根拠のない自尊心を、いとも簡単に打ち砕いてしまう。そうだ、もっとまじめに素直に真剣に取り組もう、そんな気持ちがバイクにまたがってふらふらコースを走っていると沸き上がってくる。
バイクの教習も、自分よりも圧倒的に年下の兄さんたちに罵詈雑言を浴びせられながらやるのは、とても気分が悪い。ふつうならキレてしまうところではあるのだが、できないことを教えてもらう場合にはそれではいけないと思うのだ。こんなこと研修医時代以来だなと思う。まだこんな自分が残っていたのだと感じるのはうれしい。
バイク道は昔そうだった自分と新しい自分に出会うものなのだ。
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